【美濃和紙の歴史】
はるかな時を超えて、人々の手によって受け継がれてきた美濃和紙は、薄くても強靭でしかもしなやか。光をやわらかく通すきめの細かさは、他に類を見ない美しさを持っています。
美濃和紙の歴史は1300年と言われており、奈良の正倉院に保存されている戸籍用紙の一部に美濃和紙が使われていたことが奈良時代の「正倉院文書」に記されています。
和紙の生産に必要な「楮(こうぞ)」などの原料と「良質の冷たい水」が豊富で都に近いことから、和紙の生産に適した土地でした。
世の中でも広く美濃和紙が使われるようになったのは、室町・戦国時代の文明年間(1468~1487年)以後と言われております。室町時代には、美濃国守護の土岐氏は富国強兵で地元の産業を盛り上げるため「六斉市」と呼ばれる紙市場を開催し、美濃は和紙の生産地として栄えていきました。
以降、大量に生産された美濃和紙は土岐氏や近江商人によって全国に流通するようになった。
さらに、慶長5年(1600年)の関ヶ原戦いでは、徳川家康が武儀郡御手洗村(現美濃市御手洗)の彦左衛門らに軍勢指揮のための采配の紙を申しつけたと伝えられ、関ヶ原の戦いで勝利し徳川家康が江戸幕府を開いて以降は、専売制度のもとに特産地として育成され、美濃和紙は江戸幕府御用として障子紙を納めることとなり、美濃和紙は幕府の手厚い保護を受けました。障子紙の「美濃判」という規格が登場したように、「美濃」といえば障子を指すまでに美濃和紙のは障子紙として普及した。